朝鮮飴(ちょうせんあめ)
熊本県朝鮮飴(ちょうせんあめ)
分類(大)
その他
分類(小)
菓子類
主な使用食材
もち米、水あめ、砂糖、片栗粉
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主な伝承地域
熊本市、熊本全域
食品概要(特徴・種類)
朝鮮飴は、もち米と水あめと砂糖を独自の製法でこね合わせて片栗粉をまぶした、熊本の伝統的な菓子である。熊本最古の菓子とも言われている。名前に「飴」とついているが、餅のような食感とやさしい甘さが特徴。素朴で後をひく味わいである。
歴史・文化、関連行事
安土桃山時代(大正年間)に園田武衛門が中国・明の僧から保存食として製法を教わりつくったのが発祥とされる。加藤清正が文禄・慶長の役で朝鮮の陣中食としてこの菓子を持ち込んだ際、長期間の保存に耐え、また、風味が変わらないため、兵士たちの英気を養うのに役に立った。当初は「長生飴」「肥後飴」と呼ばれていたが、加藤清正がこの菓子を褒めたことから「朝鮮飴」と呼ばれるようになったと言われている。
その後、熊本城が新たに築城したのを機に、朝鮮飴の全量城中買い上げ(生産されたすべてを買い上げ、一般販売がされないこと)が決まる。城主が加藤家から細川家に移り変わってからも、明治維新まで城中買い上げは続いた。という言い伝えが残る。
兵士の食料とするほか、参勤交代の際は江戸幕府と朝廷への献上品として、また、諸大名への贈答品としても用いられた。
製法は一家相伝で管理され、長らく一般に流通することはなかったが、明治維新以降は一般に販売された。その後、明治10年の内国勧業博覧会で、発祥とされる園田武衛門の子孫である園田政治郎の朝鮮飴は、大久保利通より褒状を与えられた。
製造方法
もち米と水あめと砂糖を独自の製法で練り合わせて寝かせ、片栗粉をかけて長方形に切る。丸いものもある。
保護・継承の取り組み
現在数軒のメーカーが製造販売を行っている。安土桃山時代の製法を復元する試みなども行われている。
主な食べ方
おやつとして食すほか、ぜんざいやくず湯に入れて食べられている。