福梅(ふくうめ、ふくんめ)
石川県福梅(ふくうめ、ふくんめ)
分類(大)
その他
分類(小)
菓子類
主な使用食材
砂糖、小豆、もち米、米粉、水あめ、米あめ
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主な伝承地域
石川県、富山県一部地域
食品概要(特徴・種類)
福梅は、江戸時代後期から金沢で正月(12月上旬~1月下旬)に親しまれている伝統菓子である。梅の花びらを模した紅白の最中で、販売する店舗によって味や最中の形が異なる。そのため、毎年、お気に入りの店舗のみの福梅を楽しむ人や、いろいろな店舗の福梅を購入し食べ比べをして楽しむ人もいる。中の粒あんには水あめや米あめが多く使用されている。これは、正月まで日持ちするよう工夫された先人の知恵である。一説には和菓子職人に正月休みを与えるためとも言われる 。味はかなり甘めで、最中の皮とあんこは一般の最中よりも硬めに作られている。最中の表面に白い砂糖をまぶしているのも特徴だが、これは梅に積もる雪を表現しているとも言われる 。また、正月のめでたさをアピールするため、当時貴重だった砂糖を表面に使用したとも言われている 。
歴史・文化、関連行事
江戸時代後期がはじまり だと言われ、起源については3つの説がある。1つは、梅の名所として知られる京都の北野天満で行われる献茶祭の献茶式で出された餅菓子「寒紅梅」がきっかけで考案された説である。北野天満宮で祀られて いる菅原道真は、加賀藩主前田家が先祖として崇めている という縁もある。2つ目は、加賀藩主前田家の家紋「剣梅鉢(けんうめばち)」を模したという説、3つ目は、兼六園を完成させたことでも知られる加賀藩十代藩主の前田重教の時代に、新春の茶会に献上された菓子が正月菓子として、城下町に伝わっていったという説である。12月になると、毎年、福梅の製造が始まったことを伝えるニュースが取り上げられるほど、石川県や富山県の一部地域で正月には欠かせない菓子となった。
製造方法
まず小豆を原料に、砂糖や米あめ、水あめを練り込んだ硬めの粒あんをつくる 。その後、もち米や米粉でつくった 最中の皮に粒あんを詰める。この作業は、最中の皮にぎっしりとあんこを詰め込むため機械での作業が難しく、今も江戸時代後期と変わらず手作業で行っている。最後に、もう一方の最中の皮を丁寧に重ね合わせ、表面全体に砂糖を振りかけて完成である。昔ながらの福梅以外にも、金箔付きや和三盆にこだわったもの、甘さひかえ めにした福梅もあり、バリエーションが豊富である。賞味期限は店舗ごとに異なり、10~40日間程度と差がある。
保護・継承の取り組み
地域の菓子屋で今も昔ながらの製法でつくられて いる。
主な食べ方
そのまま菓子として主に正月(12月上旬~1月下旬)に食べるのが一般的。御歳暮や御年賀などの年末年始の贈答品としても利用される。