五色生菓子 (ごしきなまがし)
石川県五色生菓子 (ごしきなまがし)
分類(大)
その他
分類(小)
菓子類
主な使用食材
小豆こしあん、薄力粉、もち粉、三温糖、塩、シロップ、上新粉、いら米、道明寺粉、甘酒
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主な伝承地域
金沢市周辺
食品概要(特徴・種類)
五色生菓子は江戸時代から伝わる生菓子で、婚礼や上棟式などのお祝いの場には欠かせない縁起菓子である。茶器に詰め合わされた5種類の生菓子には、それぞれ小豆餡 が使われている。五色は「日月山海里」や「森羅万象」が表現されているという。また、五臓六腑を表し、健康祈願が込められているともされる。こしあんが入った丸餅に、赤い米粉を上部半分程 まぶして日の出を表現した「日」は「ささら」とも呼ばれている。白い酒まんじゅうは「月」を表し、「里」は蒸し羊羹 で村里をイメージしているが以前は羊羹 を用いていたという。「海」は「ながまし」や「うずら」とも呼ばれ菱 形の餅で波を表現している。栗を模して黄色の米粒 をまぶしたイガラ餅は「山」を表している。
歴史・文化、関連行事
慶長6(1601)年、8歳だったのちの加賀藩三代藩主・前田利常の元に、3歳の二代将軍 徳川秀忠の息女・珠姫が輿入れをした。その際、利常の養父で加賀藩二代藩主・前田利長が、加賀藩御用菓子屋の樫田吉蔵に婚礼にふさわしい菓子をつくる よう命じたのが始まりだと言われている 。明治時代になると五色生菓子を婚礼時に贈る習慣が庶民に浸透し、根付いたと言われる 。また、江戸時代から昭和中期までは、「日」を表現した丸餅の赤い米粉部分を緑色にして仏事にも用いていたと言われている 。しかし、大正時代になると仏事には酒まんじゅうを焼いたものが用いられるようになっていった。
製造方法
【日、海、山】上新粉、もち粉をよく混ぜてから熱湯を一気に加える。粉けがなくなるまでこね、均等に分けると生地ができる。[日の形成]生地を広げあんこを適量のせて包み、蒸す。食用色素を用いていら粉を本紅色に着色する。蒸したまんじゅうの半分にシロップを塗り、本紅色に着色した いら粉をまぶす。[海の形成]生地を広げあんこを適量のせて、ひし形になるように包み、蒸す。[山の形成]食用色素を用いて道明寺粉を黄色に着色する。生地を広げあんこを適量のせて包んだ後、表面を水で湿らせる。黄色に着色した道明寺粉を表面全体にまぶし、蒸す。【月】膨張剤と甘酒、上白糖、薄力粉を混ぜ、均等に切り分け生地をつくる 。生地を広げ、あんこを適量のせて包み形成し、蒸す。【里】小豆こしあん、薄力粉、もち粉、三温糖、塩を混ぜ、適当な大きさに成形する。蒸してよく混ぜたら筒状に形成し、包丁で2cm幅程度に切る。
保護・継承の取り組み
昭和中期までは、婚礼時に蒸籠を玄関に飾る風習は一般的だったが、近年は見られなくなってきている。しかし、地域の和菓子店などでは一年を通して販売されており、婚礼に用いられることも少なくない。また、地域の伝統菓子として観光客へのお土産用としても販売されている。
主な食べ方
重箱から菓子を取り出し、そのまま食べる。婚礼の道具入れの日に新婦の実家から婚家へ、重箱に入った五色生菓子を五重黒塗りの飾り蒸籠に入れて届けた。その蒸籠を玄関に飾り、婚儀後に結婚の挨拶 代わりとして、新婦が親戚や隣近所に五色生菓子を配った。その際に、輪島塗の重箱に入れて、その上から加賀袱紗をかけていたが、現在では紙箱入りの生菓子が一般的となってきた。