干し芋(ほしいも)
茨城県干し芋(ほしいも)
分類(大)
農産
分類(小)
その他農産加工品
主な使用食材
さつまいも
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主な伝承地域
県央地域(ひたちなか市、東海村、那珂市)
食品概要(特徴・種類)
茨城県は、全国の干し芋生産量のトップを誇るが、そのうちの大部分を生産しているのが、ひたちなか市、東海村、那珂市である。当地域は、さつまいもの生育に適した火山灰由来の水はけの良い土壌と、寒暖差の大きい気候、ミネラルを含んだ潮風、冬季の長い晴天など干し芋の製造に大変適している。海から吹く強い風を利用して干す作業が行われるため、主な出荷時期は11~3月中旬までが一般的。ただし、保存食であるため、1年を通じて食べられている。工程がシンプルなことから家庭でもよく作られ、軒先にさつまいもを干している様は、冬の風物詩である。
歴史・文化、関連行事
干し芋の発祥の地は静岡県で、遭難した薩摩(現鹿児島県)の船を遠江国(現静岡県)の村役人、大澤権右衛門が助けたことをきっかけに、静岡県にさつまいもがもたらされたと言われる。静岡県でさつまいもの栽培が広がる中で、栗林庄蔵という者が、さつまいもを煮て包丁で薄く切ったものを干す、煮切り干し法という手法を考えつき、これが干し芋の始まりと言われている。いつでも食べることができ、保存がきくといった利便の良さから、一気に関東まで広まっていった。その後、静岡県沖で遭難した照沼勘太郎が、静岡県で目にした干し芋を茨城県で作り始めた。そして、那珂湊市(現ひたちなか市)でせんべい屋を営んでいた湯浅藤七や小池吉兵衛が干し芋の製造販売を始めたことによって、一気に生産量が増えたと言われている。阿字ヶ浦の堀出神社には、干し芋を広めた人物として吉兵衛の胸像があり、2019年には「ホシイモノ(欲しいもの)」が総て手に入りますようにという思いを込めて、新たに神社の境内にほしいも神社が建立された。
製造方法
蒸したさつまいもの皮を剥いて、カットしたものを乾燥させて作る。シンプルな加工法だがごまかしがきかず、素材の品質や加工技術が味に現れやすい。形状は、小ぶりなさつまいもを丸ごと干す丸干しや、薄くスライスして干す平干し、スティックタイプの角切りなどがあり、砂糖や添加物は一切使用していない。干すことで栄養素が凝縮する干し芋は、食物繊維のみならず、ビタミンやミネラル、カリウムも豊富で、少量食べるだけで効率的に栄養を補給することができる優れた食品として注目を浴びている。
保護・継承の取り組み
蒸して、切って、干すだけなので、今でも家庭で作られている。また、学校給食でも干し芋を使った料理の提供や、干し芋の作業体験なども行われている。現在は、干し芋に使われる品種や商品もバラエティ豊かで、日常用から贈答用まで選択肢も広がっている。生産者などから構成される、ひたちなか・東海・那珂ほしいも協議会は、ほしいも三ツ星生産運動やほしいも品評会を展開し、普及に努め¬¬ている。ほしいも三ツ星運動は、衛生加工の実施などにより、安心で安全な干し芋の生産を推進する取り組み。ほしいも品評会は、生産者の技術向上や、干し芋を多くの人に味わってもらうことを目的として毎年開催されている。
文化庁の世代を超えて受け継がれた食文化を掘り起こす100年フードの近代部門において、令和3年度に干し芋が認定された。
主な食べ方
素朴な甘さとほっくりとした食感は、老若男女問わず好まれている。そのまま食べても満足感を得られるが、トースターなどで軽くあぶったり、かき揚げにしたり、バターで炒めたりして食べられている。また、パウンドケーキやシフォンケーキの生地の中に入れるなど、アレンジも豊富である。
アレンジレシピ:干し芋のバター醤油炒め
材料
干し芋
2枚
バター
10g
しょうゆ
小さじ1
作り方
干し芋は食べやすい大きさに切る。
フライパンにバターを溶かし、①の干し芋を炒めて仕上げにしょうゆをまわしかける。
器に盛る。