街道餅(かいどうもち)
三重県街道餅(かいどうもち)
分類(大)
その他
分類(小)
菓子類
主な使用食材
餅(しん粉、糯粉など)、小豆、砂糖、和三盆、黒糖など
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主な伝承地域
三重県内各地から伊勢にいたる街道沿い
食品概要(特徴・種類)
伊勢神宮は江戸時代より、「お伊勢まいり」に訪れる多くの旅人を迎えてきた。旅人たちは、全国から訪れ、桑名からは伊勢街道、滋賀からは伊勢別街道、奈良からは大和街道や伊賀街道、和歌山からは和歌山街道や和歌山別街道、また熊野三山である紀伊霊場からの逆詣りなら熊野街道、熊野脇街道などの街道を通って伊勢へと向かった。街道沿いには宿泊施設や食事処や茶店などが並び、旅人たちの疲れを癒した。
街道沿いの茶店で提供されたのが、旅人たちが手早く食べられるうえ、腹持ちが良いお餅である。特に、桑名から伊勢までの伊勢街道は「餅街道」とも呼ばれ、形態・材質の異なる多種多様な名物餅が生まれた。
歴史・文化、関連行事
ここでは街道餅の数ある餅菓子の中から、代表的なものをいくつか紹介する。これらは現在も現地の店や土産物店等で入手し、味わうことができる。
・「安永餅」は、桑名市に伝わる餅。東海道と並んで走る安永道にちなんで名づけられた。牛の舌のように細長く伸ばした餅に粒餡が入り、両面にほのかな焦げ目がついている。江戸時代に寛政の改革で知られる松平定信が、桑名に隠居していた際に非常時の食料として焼餅を考えたのがはじまりという説がある。餅を薄くすることで、注文から提供までの効率化が実現されている。桑名市から鈴鹿市に至る街道沿いには、同形態の「ながもち」「立石餅」も存在している。
・「関の戸」は、東海道五十三次の内47番目の宿場町「関宿」(亀山市)で約370年以上作り続けられている銘菓。寛永年間に、伊賀流忍者の末裔である服部伊予保重(はっとりいよやすしげ)により考案創業され作り続けられている。赤小豆のこし餡を白い求肥皮で包み、その上に和三盆がまぶされている。
・「けいらん」は、津市に伝わる餅菓子。餡を米粉でくるみ、その上に赤や黄色に染めたもち米の粒をのせて蒸したもので、創業200年を超える老舗和菓子店でつくられている。起源や名称の由来は定かではないが、豪華絢爛の「絢爛」が訛ったものである可能性がある。なお、形態がよく似ているが、もち米に色を付けない「松かさ餅」が伊勢本街道沿いに見られる。
・「へんば餅」は、きめ細かい新粉を蒸して作った団子皮の中にこし餡を包み、鉄板の上で焼いたもの。参道街道沿いで創業200年を超える老舗和菓子店でつくられている。宮川の渡しの前で参宮客が馬を返したところからこの名で呼ばれる。
・「赤福餅」は、伊勢に伝わるお餅の上にこし餡をのせた餅菓子。宝永四(1707)年に創業された「赤福」で伝統の味を今も守り続ける。白い餅は川底の小石を、あんにつけた三筋は五十鈴川の清流をあらわす。名の由来は「赤心慶福」(赤子のような素直な気持ちで、人様の幸せを自分のことのように喜ぶという意味)という言葉から採られた。
製造方法
餅街道の餅菓子の多くは、餅と餡によって作られる。街餅というものの、しん粉餅や、しん粉ともち粉を混ぜて作られるもの、もち粉で作られるものなど、多様である。また餡はこし餡、つぶ餡、黒糖を混ぜた餡など、多くの老舗では 今も独自の味付けにより銘菓を作り続けている。
保護・継承の取り組み
現在も当時からの老舗和菓子店が各地で営業を続けている。それらは、三重の街道餅もしくは餅街道としてまとめて紹介されることも多い。東京の老舗百貨店で街道餅の名物餅を集めた物産展が開催されるなど、三重県を代表する食文化としてのブランドを確立している。ただ近年後継者などの問題で、継承が危ぶまれている、あるいは消滅してしまった街道餅が生じていることは残念である。
主な食べ方
そのまま食す。イートインができるお店では、お茶(伊勢茶)とセットで提供する店や、伊勢茶を販売している店もある。