米菓子、豆菓子(こめがし、まめがし)
京都府米菓子、豆菓子(こめがし、まめがし)
分類(大)
その他
分類(小)
菓子類
主な使用食材
米(もち米)、各種豆類(えんどう豆、大豆、黒豆、そら豆等)
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主な伝承地域
京都府全域
食品概要(特徴・種類)
日本人にとって馴染みの深い、あられ、おかき、煎餅などの米菓子や、たんぱく源として身近な食材である豆類を用いた豆菓子などの素朴な菓子も、京都においては独自の洗練と進化を遂げ、多種多様な京都の菓子文化の中でも確固たる地位を占めている。
あられとおかきは、いずれももち米からつくられる米菓で、一般的に小さいものをあられ、大きいものはおかきと区別される。米食文化が根付いた日本の中でも、京都における米菓は古くから宮中文化と結びつき、特徴的な食文化へと昇華されていった。例えば、ひなあられは、平安時代に宮中や貴族の女性たちの間で行われていた「ひいな遊び」(人形遊び)の際に食べていたおかきがルーツになっているとも言われている。
また、京都ならではの米菓子といえば「八ッ橋」と「生八ッ橋」が挙げられる。前者は米粉、砂糖、ニッキ(シナモン)を混ぜた生地を蒸し、薄く伸ばして焼き上げた堅焼き煎餅の一種で、半円に湾曲した瓦のような形が特徴。後者は八ッ橋の生地を焼かずに食べる柔らかい生菓子である。
煎餅や八ッ橋は水分が少なく乾燥させた干菓子(ひがし)に分類される。「落雁(らくがん)」も京都を代表する干菓子のひとつ。米や麦などの穀類を蒸してからつくった粉に砂糖や水飴などの甘味を加えて様々な形の型に入れて乾燥させたもので、仏事のお供え物や茶菓子として定番のお菓子である。一方、干菓子とは対照的に液体状の水飴には、もち米と麦芽を原料として作られる米飴がある。京都では平安時代の頃には水飴が売られていたとされ、当時は菓子ではなく甘味料として扱われていたとされる。
豆菓子については、京都および京都周辺では、昔から良質の豆が収穫され、風味豊かで栄養価の高い豆菓子を製造することができた。特に五条大橋の東に広がる六波羅地域では、かつてエンドウ豆が栽培されており、地元で採れた豆を使ったお菓子が開発された。その他、丹波地域は黒豆・大豆・小豆、山城地域はそら豆の産地として知られている。
豆菓子の代表的なものとして、煎ったエンドウ豆に白・赤・黄・緑・黒(茶)の五色の砂糖がけをした「五色豆」が挙げられる。王朝時代より宮中で幸福祈願の際に用いられてきた五色を用いた縁起物として、今日でも親しまれている。
また、大豆を炒って挽いたきな粉は、小豆からつくられるあんことともに京都の菓子にとって欠かせないものである。節分の際に炒った大豆を投げる豆まきは京都発祥とされ、豆と京都の歴史的なつながりを今に伝えている。
歴史・文化、関連行事
京都では、江戸時代や明治時代から続く老舗菓子店が、それぞれ特色ある商品を開発し、現代にその味を伝えている。ここでは老舗が生み出した代表的な菓子をいくつか紹介する。これらは現在も京都府内の老舗菓子店や土産物店等で購入し、味わうことができる。
<米菓子>
米菓の歴史は古く、その起源は定かではない。餅米を神仏にお供えし、お供えが終わった後土皿でこれを焙ったものが、今日のあられの原型と考えられている。当時は保存食として煎餅やあられが工夫され、後にお菓子として親しまれるようになった。
現代では神仏に供える餅のことを「鏡餅」と呼んでいるが、平安時代には「餅鏡」(もちかがみ)と呼ばれ、餅を神の宿る鏡の形に造ったものが神に供えられていた。鏡開きとは、正月に供えた鏡餅を下げて食べる行事で、鏡餅を刃物で切ることを避け、槌で割ったり手で欠いたりしてつくられたものが「かきもち」であり、これが室町時代の宮中で「おかき」と呼ばれるようになったと言われている。
「うすばね」は、京都おかきの代表的なもので、その名のとおり薄さが特徴のおかきである。約2週間という長い時間をかけて、餅を0.4mmの薄さに削り、一枚一枚丁寧に焼き上げる。この薄さとパリッとした食感、そしてほんのりとした醤油味が、米の風味を引き立てる。明治創業の老舗が今も創業当時の製法で、その味を伝え続けている。
京都の米菓子の代表的存在「八ッ橋」の名前の由来には諸説ある。一つは「伊勢物語」に登場する八橋の板橋に形が似ていることからという説と、江戸時代初期に活躍した筝曲(そうきょく:琴の音楽)の祖として知られる八橋検校を偲び、琴の形に似せて仕上げた堅焼煎餅を「八ッ橋」と名付けたという説がある。
1960年代には、生地を焼かずに切った柔らかく、しっとりとした食感が特徴の「生八ッ橋」が誕生すると、餡を包んだ「餡入り生八ツ橋」をはじめ、多様なフレーバーの八ッ橋が開発された。現在では、京都を代表する土産品として全国に知られている。京都の煎餅としては、京野菜のスライスを生地に混ぜて焼いた「野菜煎餅」や、表面の唐草模様と混ぜ込んだ金胡麻と黒胡麻で、川の流れと川底の砂利を巧みに表現した「白川路」が知られているが、一般的な米菓子の煎餅とは異なり、卵と小麦粉を使った煎餅である。
<豆菓子>
数ある豆菓子の中でも、京都を代表するものといえば「五色豆」である。老舗豆菓子店によって明治20年に考案された。定番の伝統的な五色豆の他に、五色を現代風に解釈し、それぞれミルク・いちご・バナナ・珈琲・抹茶で味付けした「クリーム五色豆」は、落花生を使った柔らかい食感が特徴である。
京都西陣にある老舗店が伝える「真盛豆」は、一見するとマリモのような抹茶色の玉だが、煎った黒豆に蜜ときな粉を交互にかけ、表面に細かい青のりをまぶした豆菓子である。室町時代の僧・真盛上人が開発した製法を受け継ぎ、千利休が茶会で出したとされる歴史ある菓子として知られる。
製造方法
京都のあられやおかきの製造は、国産もち米を用いて、精米から焼き上げまで一貫して行われる。一般的な製造方法は、洗米(玄米から糠を取り除き水に浸す)、セイロ蒸し、餅つき、生地の裁断・乾燥、焼き上げ、味付け・仕上げ乾燥の工程を経て製品となる。各工程に長年の経験が生かされ、独自の商品が生み出される。例えば、蒸工程における蒸し具合、餅つきの強度によって、おかきの膨らみ具合に影響が出る。生地の乾燥工程では、温度や湿度など経験に基づく見極めが必要である。焼き工程では、今日でも昔ながらの炭火で焼く店もある。味付けは、醤油、油脂類、グルタミン酸ソーダ、副原料として海苔、昆布、胡麻、唐辛子、砂糖などを使ってさまざまな味が生まれる。
豆菓子では、「五色豆」の製造工程について紹介する。原材料には、青エンドウが使用される。数日間水掛けし、徐々に柔らかくした豆を、柔らかさを保ちながら煎り上げる。その後、青えんどうに数日かけて上白糖を何度もまぶし、ニッキ(茶色)、青のり(緑色)、赤色、黄色、白色を加えて五色に仕上げる。水掛けから完成まで一週間から10日間の時間を要する。
保護・継承の取り組み
現在も老舗菓子店が営業を続けている。また、それらの店では定番商品のほかに、生八ッ橋の豊富なバリエーションに代表されるように、現代のニーズに合った新商品を開発し、新たな世代の消費者を獲得している。
主な食べ方
季節を問わず、家庭などで日常的に食べられる。ひなあられなど季節の行事と結びついた商品もある。