凍り豆腐(こおりどうふ)
宮城県凍り豆腐(こおりどうふ)
分類(大)
農産
分類(小)
豆類加工品
主な使用食材
大豆
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主な伝承地域
大崎市岩出山地区
食品概要(特徴・種類)
凍り豆腐は、寒さ厳しい季節に作られ、古くから栄養価の高い保存食として重宝されてきた日本の伝統食材である。似たような食材に西日本を中心に広がった高野豆腐があるが、高野豆腐は外気の寒さで凍った豆腐にお湯をかけて溶かし、水を絞ってから乾燥させるのに対し、東北地方を中心に食される凍り豆腐は自然乾燥させて作り上げるといった製法の違いがある。凍ることで豆腐の中に氷の結晶ができ、溶ける際にその結晶部分が空洞となるため、スポンジのように水分が染み込む状態になる。
大崎市岩出山地区で作られる岩出山凍り豆腐は、宮城県産の大豆とにがりのみを使用した昔ながらの製法で作られる凍り豆腐で、弾力に富んだ硬めの歯触りと滑らかな舌触りが特徴である。また、凍結し氷温で熟成した豆腐を一旦、水にさらして解凍し水分を絞ってアクを取り除いた後に再凍結するという岩出山独自の工程により雑味が少なく、大豆の風味が豊かで、見た目は色が白くキメが整っている。味や食感だけでなく、タンパク質のほか、大豆イソフラボン、カルシウム、鉄、食物繊維など多くの栄養素を含んでいる。
歴史・文化、関連行事
岩出山凍り豆腐の歴史は古く、江戸時代末期の1842年に斉藤庄五郎という人物が、奈良で凍り豆腐の前身である氷豆腐の製法を学び、岩出山に持ち帰ったことが始まりと伝えられている。岩出山地区は奥羽山脈の東側に位置し、周囲に比べて雪も少なく、風もそれほど強くなく、湿気や強風を嫌う凍り豆腐作りに適した土地であり、冬場の換金作物として、また、貴重なタンパク源として広まっていった。以来180年にわたって改良を重ね、作り続けられてきた。
岩出山凍り豆腐の記録として、「明治9年(1876年)に岩出山から仙台、石巻その他近村へ凍り豆腐を輸出した」と玉造郡地誌に記載されており、宮城県全域に広がっていったことが分かる。
製造方法
岩出山凍り豆腐は、真冬の12~3月にかけて作られる。宮城県産の大豆とにがりのみを使用して作った豆腐を2週間ほどかけて氷温熟成させ、その後解凍する。水で戻してアク抜きをしていぐさで編んで吊るし、再度凍結し、冬場の乾燥した空気で1週間ほど干して完成する。一度水で戻したものを再凍結するのは、岩出山独自の製法である。
保護・継承の取り組み
1960年の最盛期には86戸の生産者がいたが、その後、天候不順や後継者不足で現在では数えるほどになっているものの、江戸時代から続く伝統を守りながら年間およそ10万袋の生産を維持している。
2018年には、地域独自の農林水産物や食品を知的財産として保護する「地理的表示(GI)保護制度」に岩出山凍り豆腐が登録され、この地域ならではの特産品であることを示すGIマークを付すことが認められた。また、2020年には世界農業遺産に登録された「大崎耕土」の農業農村の営みによって培われ、受け継がれてきた農産物等を認証する「豊饒の大地『大崎耕土』世界農業遺産ブランド認証」に、加工品として初めて岩出山凍り豆腐が認証された。
主な食べ方
煮崩れせずに形が整ったままだしがよく染み込むことから、地元では郷土料理に欠かせない伝統的な具材として使用されている。煮物やおでん、鍋の具材はもちろん、正月の仙台雑煮に欠かせない食材として、また梅雨どきまでの保存食としても県民に愛されている。