くじら餅(くじらもち)
山形県くじら餅(くじらもち)
分類(大)
農産
分類(小)
その他農産加工品
主な使用食材
米粉、砂糖、くるみ
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主な伝承地域
最上地域(新庄市ほか)、村山地域(大石田町、尾花沢市ほか)
食品概要(特徴・種類)
くじら餅とは、餅米とうるち米を配合した米粉を使い、蒸してつくる棹菓子のこと。白砂糖、黒砂糖、みそ、しょう油、あん入りなど、さまざまな種類がある。全国的にはあまり知られていないが、山形県では江戸時代から各家庭でつくられてきた伝統菓子で、とくに新庄市をはじめとする最上地域では、月遅れの旧暦に祝う桃の節句、雛祭りの雛壇に供えられ、食べられてきた。北国の遅い春の訪れを象徴する菓子とあって、新庄市周辺では家庭それぞれに餅米とうるち米の配合率が違っていたり、味付けに何を使うかが異なっていたりするなど、独自の製法があり、隣近所で美味しさを競い合うのが春の楽しみ。季節の風物詩ともなってきた。
なお、大海を泳ぐ鯨とは関係がないにも関わらず、付いた不思議な名前の由来は、鯨肉を塩蔵した塩くじらに姿が似ているからとも、日持ちがするため「久しく持ちが良い」の頭の漢字を一つずつとったからともいわれ、諸説ある。
歴史・文化、関連行事
江戸・宝永年間(1704~1711年)の新庄藩第三代藩主・戸沢正庸の時代に、狩りや戦いの兵糧として使われ、朝鮮通信使の接待にも出されたと記録に残る。そのため、くじら餅の起源は今の新庄市にあるといわれている。
江戸から明治にかけて活躍した北前船は、積み荷だけでなく、さまざまな技術や文化を運び、伝えたが、くじら餅もまた原型は京菓子であり、北前船にのって酒田の港を経由し、新庄に伝わったとの説がある。北前船の寄港地である青森・鯵ヶ沢にも伝統菓子としてくじら餅が残っており、やはり北前船で伝わったのであろうといわれている。
砂糖が自国で生産されて安価になると、くじら餅は各地でつくられるようになったが、米を浸水・乾燥させて製粉所で粉に挽いてもらうところから考えると、春彼岸の頃には準備を始める必要があった。その手間が敬遠され、次第に廃れて新庄市を中心とする山形県の最上地域と青森県の鯵ヶ沢周辺にのみ、その食文化が残された。
新庄周辺には、雛祭りに子どもたちが旧家の雛飾りを訪ね歩く〝お雛見〟という行事があった。訪れた先々で、子どもたちには雛あられなどとともに、各家自慢のくじら餅が振る舞われたという。その風習は、今も一部地域に残される。
なお、発祥の地とされる新庄では、雛膳として桃の節句に供えられるだけでなく、日頃からお茶請けとしても親しまれている。
製造方法
餅米とうるち米を洗い、一晩浸水しておく。米をざるにあげ、さらに一晩かけて完全に水切りをして粉に挽く。塩、黒砂糖、水を火にかけ、沸騰させないよう気をつけつつ、黒砂糖をゆっくり溶かして粗熱を取る。それを少しずつ粉に加えながらよくかき混ぜて、すくうとトロトロと流れるぐらいの濃度のたねをつくり、ぬれ布巾をかけて一晩寝かせておく。濡らして水気を絞った布巾などを型に敷き、クルミを散らしてたねを流し入れ、十分に蒸気のあがった蒸し器に入れて、1時間半~2時間強火で蒸す。
柔らかいうちに冷凍し、食べるときに自然解凍すると、できたてのおいしさを味わうことができる。
保護・継承の取り組み
最上地域を中心に、食生活改善推進協議会やJAなどにより、くじら餅づくりの体験教室が開かれるほか、より簡単なつくり方や時間がたって硬くなった際の食べ方まで、さまざまな方法・レシピが動画を交え、インターネット上で公開されている。
また、スーパーや直売所などで既製品が販売され、最上地域の菓子店やみやげ店では季節を問わず店頭に並び、インターネット販売も行われている。
主な食べ方
柔らかいうちは切ってそのままお茶請けに食べられることが多い。硬くなったものはオーブントースターやフライパン、ホットプレートなどで香ばしく焼いて食べられる。