京都の醤油(きょうとのしょうゆ)
発酵食品
京都府京都の醤油(きょうとのしょうゆ)
分類(大)
農産
分類(小)
醤油、味噌、その他調味料
主な使用食材
大豆、小麦、塩、水、麹
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主な伝承地域
京都市、丹後地域、南丹地域
食品概要(特徴・種類)
醤油には地域性があり、大きく分類すると関東やその他の多くの地域では「濃口(こいくち)醤油」、京都・大阪を中心とする関西では「淡口(うすくち)醤油」が一般的である。
京都で淡口醤油が好まれるのは、料理との関連性が強い。淡口醤油は濃口醤油と比べて、色が薄く、塩分濃度が高い特徴がある。このため、寺院を中心に食材の持つ色や味を活かした精進料理や懐石料理が発達した京都では、食材を引き立てる調味料として、少量の使用で済む淡口醤油が京都を代表する醤油となった。
質のいい醤油がつくられる条件として、山間部などの寒暖差がはっきりした気候、きれいな空気と水、そして原料となる大豆の品質が挙げられる。京都における醤油の主要産地として知られる北部の丹後地域や中部の丹波地域は、そうした条件を兼ね備えた場所であり、現在も少数ながらも老舗醸造所がその土地でしか作れない醤油をつくり続けている。
歴史・文化、関連行事
醤油は、中国から伝わった「醤(比之保=ひしお)」(食材を塩で発酵させた食品。穀醤や肉醤などがある)が原形とされる。古くは「大宝律令」(701年)にさかのぼることができ、大豆を原料とする「醤」がつくられた記録がある。鎌倉時代には、信州の禅僧覚心が中国より径山寺みそをもたらし、溜(たまり)醤油の原形となった。現代のような醤油となったのは、室町時代末期と伝えられ、当時の文化の中心であった関西地方で醤油の工業生産が起こった。その発祥地とされているのが京都である。
文献上に「醤油」という言葉が登場するのは1597年に発行された「易林本節用集」(国語辞書のひとつ)とされ、その中に「大永年間(1521~28年)足利義晴の頃、京都の醤油が創醸された」 という意味のことが書かれていることが、“京都発祥説”の根拠とされている。
淡口醤油が誕生したのは1666年、醤油の名産地として知られる龍野(兵庫県たつの市)で製造方法が開発されたことによる。この龍野の淡口醤油が、京都の食文化に取り入れられ、家庭にまで広がり、現在に至る淡口醤油文化圏が形成されることとなった。
製造方法
一般的な醤油の製造法は、大豆、麦を原料とし、それらを蒸煮したものに、麹と食塩水を混ぜて発酵、熟成させる。麹菌がうま味成分を生成した後、乳酸菌と酵母が醤油特有の香気成分をつくり出す。
淡口醤油の製造方法は濃口醤油とほぼ同じだが、味をまろやかにするために甘酒を添加したり、製造工程で色の濃化を抑えるために食塩濃度は高めにして発酵を抑えたり、火入れ温度を低くするなどの工夫が凝らされる。
また、京都の老舗蔵元がつくる醤油の特徴は、添加物などによる人為的な発酵の促進を行わず、微生物の力だけで熟成を行う「天然醸造」によりつくられることにある。丹波地域の亀岡市にある蔵元では、1~2年にも及ぶ熟成期間中、蔵内でモーツァルトの楽曲をBGMとして流しているという。見えない微生物とともに歩んできた、老舗ならではの工夫といえよう。
保護・継承の取り組み
一般的な醤油だけでなく、柚子醤油、黒豆醤油、ハバネロ醤油といった味付きの醤油や卵かけご飯専用の醤油、だし醤油など、老舗蔵元も時代のニーズを取り込みながら様々な商品開発を行っている。京都市内にある明治から続く蔵元は、醤油を使ったスイーツを提供する店舗を運営し、醤油の可能性を広げる試みを行っている。また、老舗蔵元の醤油がラーメン店のスープに使われるなど、活用の幅は広がっている。
一方、地域での醤油づくりが連綿と受け継がれている場所もある。京丹後市弥栄町黒部では、同じ地区の数十世帯が、それぞれ仕込んだ醤油麹を持ち寄って、毎年一度、杉樽に醤油を仕込む行事が世代を超えて受け継がれている。
主な食べ方
淡口醤油が主流ではあるが、濃口醤油も日常的に使われる。一般的に、煮物・吸い物には淡口醤油、あめ炊き、かけ醤油には濃口醤油と使い分けされている。