波切節(なきりぶし)
三重県波切節(なきりぶし)
分類(大)
水産
分類(小)
節類
主な使用食材
かつお
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主な伝承地域
伊勢志摩地域
食品概要(特徴・種類)
波切節は三重県の伊勢志摩地域でつくられるかつお節。三重県内におけるかつお節製造は複数の地域で行われてきたが、特に志摩市大王町波切地区で製造されるかつお節を波切節と呼ぶ。波切節は、漁獲海域や季節によって異なる魚の質を見極めながら、火加減や、燻す時間などを手作業で調整する、江戸時代中期に確立された「手火山(てびやま)製法」によってつくられるのが特徴である。この製法によりつくられたかつお節は、香りが良く、澄み切ったおいしい濃厚な出汁がとれるため、和食への活用はもちろん、海外の有名料理店でも使われた実績があるという。
歴史・文化、関連行事
志摩国は古来より「御食国(みけつくに)」と位置付けられ、朝廷に海産物をはじめとした豊かな食材を供給する特別な領地であった。奈良時代の平城京跡から出土した木簡には、「名錐(波切)より堅魚(かつお)が朝廷に献上された」との記載が確認されている。ただ当時の「堅魚」はただの素干しまたは煮てからただ乾かしただけのものと考えられ、現在のかつお節に近い「燻乾」を導入した製法は室町時代以降と考えられている。
戦国時代には、鳥羽を本拠地とした九鬼水軍が、戦の備えとしてかつお節を携帯させたと言われ、ビタミンE・Dを豊富に含むかつお節は栄養食として重宝されてきたことがわかる。
江戸時代中期頃になると、出汁を使う和食の基本が確立されたことや、うどんや蕎麦などの庶民の食文化が広まったことなどを背景に、各地でかつお節製造が盛んになり、波切節も多くの人々に知られるようになった。文政5年(1822年)につくられた全国のかつお節のランキングを相撲の番付表に見立てた「諸国かつお節番付表」には、波切節は「行司」に位置付けられている。古来より伊勢神宮に供えられてきたことや、優秀な職人が秘伝を教える立場にあったことなどを考慮したものと推測される。
昭和初期には200軒近くあったとされるかつお節小屋は、時代の流れを経て、現在はわずか数軒となった。しかし、毎年10月17日に伊勢神宮で行われる神嘗祭には、この地でつくられたかつお節が奉納されている。
製造方法
3枚におろしたかつおを1時間ほど煮る。取り出して冷まし、形を整えて木製の蒸篭に並べ、薪を燃やして強火の炎で職人が手でかつおの表面を確認しながら2日間ほど燻したら、翌日は休みを入れ、再び燻す。休みを入れることにより、内部の水分量と表面の水分量を徐々に平衡にしながらこれを10回以上繰り返すことで、極限まで水分を抜いた最高級のかつお節が出来上がる。これが古くからの燻し方法で「手火山製法」と言い、最近の急造庫方式などに比べて倍ぐらいの日数を要するが、手作業で丁寧に乾燥・燻製することで、波切節の質の高さが保たれている。
保護・継承の取り組み
志摩市大王町の波切地区で古くから波切節の製造を続ける業者では、燻小屋で「手火山製法」の体験や、製造工程の説明、出汁の試飲やおかかご飯の試食などの体験会を行っており、世界各国から見学者が訪れている。
主な食べ方
出汁をとるのに使用されるほか、削りたてのかつお節を炊きたてのご飯にのせてもおいしくいただける。また和え物や各種料理のトッピングなど幅広く利用される。また出汁を取った後のかつお節はふりかけなどに活用される。