能登の塩(のとのしお)
石川県能登の塩(のとのしお)
分類(大)
農産
分類(小)
醤油、味噌、その他調味料
主な使用食材
海水
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主な伝承地域
奥能登エリア(石川県珠洲市、輪島市、鳳珠郡)
食品概要(特徴・種類)
能登の塩は、能登の海水のみを使い手間暇かけて昔ながらの製法で作られている。一般的な塩よりもミネラル分が多く、舌触りがなめらか で、塩味がやさしく 、まろやかなのが特徴。製造方法には、5~9月に生産され奈良時代から続く伝統技法の「揚浜式製塩」、揚浜式塩田法を改良して年間を通して生産を可能にした「流下式製塩」、夜通しかん水を釜で煮詰め水分を蒸発させることで塩を結晶化させる「釜屋作業・直煮方法製塩」の3種類がある。揚浜式製塩や流下式製塩の後に釜屋作業・直煮方法製塩が用いられることが多い。
歴史・文化、関連行事
3世紀頃 に七尾湾岸で土器による製塩が始まり、5世紀頃 に能登で揚浜式の塩づくり が始まったとされる。寛永4(1627)年に、加賀三代藩主・前田利常が藩の財源と自給塩の確保、農民救済を目的に塩の専売制などを導入し能登一帯に揚浜式製塩を奨励したことで、製塩業が発展した。しかし、明治時代になると新たな技術や施策の導入、廃藩置県に伴う専売制の廃止により、能登の伝統的な製塩業は衰退した。昭和33(1958)年には臨時塩業措置法により、伝統的な海水からの直接製塩が禁止となった。そのため、伝統技術の保存と観光を目的とした珠洲と輪島の3軒以外の揚浜式製塩業者は廃業となり、昭和36(1961)年には2軒の製塩業者が転業したことから揚浜式製塩の担い手は珠洲市の角花家のみとなった。平成9(1997)年に臨時塩業措置法が廃止されたことで、能登伝統の製塩法による塩づくり が復活した。
製造方法
能登の伝統的な製塩法、 揚浜式製塩 はまず「塩田」と呼ばれる砂浜の上に粘土と砂を敷き詰めた場所に、汲み 揚げた海水を打桶(おちょけ)に入れて撒き 、天日と風によって海水が蒸発し砂に塩が付く。「たれ舟」と呼ばれる4枚の板で囲った箱型の装置に塩が付いた砂を集めて入れ、その中に砂に付いた塩を溶かすため の海水を入れて、塩分濃度の高いかん水を作る。かん水を釜で夜通し煮詰め、水分を蒸発させ塩が結晶化したら塩を釜上げする。余分なにがりを除き、自然乾燥させる。製塩に携わる技術者である浜士(はまじ)の手で海水をまんべんなくきれいに撒く ことが塩づくり の肝であり、この技術を習得するまでに10年以上かかると言われる 。
保護・継承の取り組み
揚浜式製塩の唯一の担い手である角花家によって昔ながらの製塩法を現在に伝承している。珠洲市では地域おこしの一環として地元有志による塩に関する勉強会や、市内の事業者たちにより塩田の復活や拡大に向けて取り組んでいる。塩づくり の歴史が学べる塩の総合資料館と塩づくり が体験できる施設を珠洲市内に設立し、昔ながらの揚浜式製塩を後世に伝えている。また、昭和44(1969)年に「能登の揚浜製塩用具」が国重要有形民俗文化財、平成4(1992)年に「能登の揚浜式製塩」が石川県無形民俗文化財、平成20(2008)年に「能登の揚浜製塩の技術」が国重要無形民俗文化財に指定された。さらに、平成23(2011)年には「能登の里山里海」が世界農業遺産(GIAHS)に認定されている。
主な食べ方
一般的に、おにぎりや煮物、天ぷら、刺身 など、そのまま食材に振りかけたり、まぶしたりして食べる。その他、お酒に使われたり、ソフトクリームやケーキといったスイーツにも使われたり、使用方法は多岐にわたる 。また、お土産や贈答品としても利用されている。