
たくあん漬(たくあんづけ)

発酵食品
山形県たくあん漬(たくあんづけ)
分類(大)
農産
分類(小)
漬物
主な使用食材
大根、米ぬか、塩
※ダウンロード可能な画像を使用する場合は「リンクについて・著作権」をご一読の上、
出典を農林水産省「にっぽん伝統食図鑑」と明記し、ご利用ください。
なお、画像提供元の記載がある場合は画像提供元も併せてご記載ください。
画像提供元の記載例
【画像提供元の記載がない場合の記載例】
出典:農林水産省「にっぽん伝統食図鑑」
【画像提供元の記載がある場合の記載例】
出典:農林水産省「にっぽん伝統食図鑑」
画像提供元:〇〇〇
主な伝承地域
上山市、山形県全域
食品概要(特徴・種類)
たくあん漬とは、大根を塩と米ぬかに漬けて発酵させた〝大根のぬか漬け〟である。雪深い地域ならではの保存食として、多彩な漬物文化をもつ山形のとくに農村部では、今もたくあん漬を漬ける家庭が少なくない。収穫した大根が日光と寒風を浴び、日に日にしぼんでいく景色は家々の軒先で毎年見られる秋冬の風物詩。2週間から20日ほど干し、曲げても折れない程度に乾燥した大根を取り込み、米ぬかと塩でじっくりと一本漬けする。やや強めの塩味とパリパリとした食感が特徴だ。漬物屋等で販売される既製品もまた、昭和の末頃までは一本漬けが店頭で樽売りされていたが、今はスライスしたものなど手軽に食すことのできる小さなパッケージの製品が増え、塩味を控えたものや、味わい・香りで個性を添えた新たな製品も生まれている。
全国的に漬けられ、食べられてきたたくあん漬だが、山形県上山市はたくあん漬(沢庵漬)の名称発祥の地とされ、その歴史的背景とともに地域伝統の味として食べ継がれている。
歴史・文化、関連行事
たくあん漬の由来には諸説あるが、上山市が名称発祥の地とされるのには、1627(寛永4)年に起きた幕府と朝廷の権力争い「紫衣事件」が関係している。幕府抗議の先頭に立ち1629(寛永6)年、今の上山市へと追われたのは、書画・詩文・茶の湯に通じ、地位名誉を求めないことで庶民からも人気のあった臨済宗の僧、沢庵和尚。流謫の身でありながら、上山城主土岐頼行により仮住まいの草庵、春雨庵を寄進されるなど篤く処遇され、3年間の流謫期間を悠々と過ごしたと伝わる。その間に地元の人々からもさまざまな作物などが届けられ、そこには大量の大根が含まれていた。到底食べきれない大根を和尚が保存食の「たくわえ漬」にしたのが、たくあん漬の始まりとされ、沢庵和尚自らその製法を人々に伝えたといわれる。以降、たくあん漬は和尚の人柄とともに上山市民に愛され、脈々と受け継がれる郷土の味となった。また、1953(昭和28)年に再建された春雨庵では毎年、供養祭やたくあん漬の漬け込み式が和尚を偲んで開かれる。
なお、たくあん漬(沢庵漬)の名を広めたのは、流謫を解かれた沢庵和尚が親交を深めたとされる三代将軍、徳川家光と伝えられる。
製造方法
沢庵和尚伝授によるたくあん漬:
(大根 50本 / 塩分 15~17%)
桶(樽)の底に米ぬかと塩を撒き、大根の頭を揃えながら隙間なく一列に並べ、再び米ぬかと塩を撒く。これを繰り返してから上面に米ぬかと塩を撒き、最後に重石(軽く)をのせる。6~12ヶ月漬け込み、発酵させれば出来上がり。
当時は塩分が今のたくあん漬より3倍から5倍ほどある、塩辛いものだったという。
保護・継承の取り組み
沢庵和尚が3年を過ごした春雨庵(再建されたもの)に、「沢庵漬名称発祥の地碑」を建立。山形県の重要文化財に指定するとともに、毎年、沢庵和尚の遺徳を偲ぶ供養祭が営まれ、当時と同じ方法による干し大根の漬け込み式などが行われている。
昔ながらのしょっぱいたくあん漬のほか、山形名産の紅花で色付けをしたものや梅で香りを添えたものなど、さまざまなたくあん漬がみやげにも買いやすい小さなパッケージで販売されており、インターネットでの購入も可能だ。
主な食べ方
そのままご飯のお供に食べられている。また、タルタルソースの具材にしたり、ポテトサラダに混ぜたりと、独特の発酵香が料理の味わいに奥行を出すとして、さまざまな料理の隠し味に使われている。