
米沢牛の味噌漬(よねざわぎゅうのみそづけ)

山形県米沢牛の味噌漬(よねざわぎゅうのみそづけ)
分類(大)
畜産
分類(小)
畜産加工品
主な使用食材
米沢牛、味噌、酒粕
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主な伝承地域
置賜地域
食品概要(特徴・種類)
米沢牛は、松阪牛、神戸牛とともに日本三大和牛と称されることもある山形県随一のブランド牛。寒暖差の大きい気候風土と最上川源流域の豊かな水資源に恵まれた置賜地域で肥育され、美しいサシととろけるような口当たりが特徴だ。出荷時の月齢が32か月以上の黒毛和種かつ未経産雌牛の牛肉で、「牛枝肉取引規格」による格付において肉質等級3等級以上と厳しく定義されている。その米沢牛を、酒粕をブレンドした味噌ダレに漬け込んだものが、米沢牛の味噌漬である。もともとは保存性を高めるために考案された加工品で、店によって「登起波漬」「米沢牛すみれ漬」「そんぴん漬け」と、さまざまに呼ばれる。
焼けば表面に帯びた焦げ目が香ばしく鼻をくすぐり、濃厚な味噌のうま味と酒粕のフルーティーな甘さが口中を満たす。高級品のため、今も主に贈答用に使われている。
歴史・文化、関連行事
上杉治憲(鷹山公)が創設した学校、興譲館に招聘されたイギリス人教師のチャールズ・ヘンリー・ダラス氏は1875(明治8)年、任期を終えて横浜の居留地へ戻る際、当時は主に水田耕作用の役牛だった米沢の牛をみやげに持ち帰り、肉を振る舞ったという。その美味しさが評判となり、米沢の牛が世に知られるきっかけとなったとされる。そして1899(明治32)年に奥羽本線が開通すると、米沢駅から牛が貨車積みされて大量に出荷され、銘柄としての米沢牛の地位を確固たるものにしたという。
また、味噌漬については、米沢市で最も古い米沢牛専門店・登起波がルーツとされる。米沢・東京間は蒸気機関車でさえ丸一日以上の時間を要し、しかも冷蔵設備もない時代。東京の顧客に請われて米沢牛を送る際、魚の粕漬を参考に、酒粕だけでなく味噌も加えて漬け込むことで、より保存性を高めた米沢牛の味噌漬が開発されたそう。公に売り始めたのは大正元年のことである。
1681(天和元)年に当時の米沢藩主が農耕・運搬・採肥のため、南部地方(現在の岩手県)から牛を導入して以来、長い牛の飼育実績がある置賜地域。そこで生まれた米沢牛で始まった山形県の肉用牛の歴史だが、戦後、優れた肉用牛が次々とつくられると、1962(昭和37)年には当時の県知事・安孫子氏により、県内産肉牛を「総称 山形牛」として定義づけ、品質規格の統一が図られたこともあり、高品質の肉用牛産地として、全国的に「山形」の名が知られるようになった。なかでも「米沢牛」の名称を使うには、今もより厳しい基準を満たす必要がある。
製造方法
主に山形産の味噌と、やはり山形の酒蔵の酒粕を合わせた味噌だれに、カットした米沢牛を最低でも2~3日、じっくりと漬け込む。
保護・継承の取り組み
精肉店や料亭などから完成品が販売されており、店頭はもちろん、インターネット等でも手軽に入手ができる。
また、2017(平成29)年3月、食肉としての米沢牛が、地理的表示(GI)保護制度に農林水産大臣登録第26号として登録された。
主な食べ方
肉についた味噌を取り、その肉を冷たいフライパンにのせる。肉1枚につき約20~30ccを目安に水を入れてから強火にかける。煮立ったら肉を裏返して、さらに強火で炒りつけるように焼き上げれば、出来上がり。クッキングシートを敷けば、オイルを使うことなくくっつき・焦げつきを防止できる。
なお、漬け込みダレは再利用が可能。新しい肉の汁気をよく切り、夏場は冷蔵で、冬場は常温で2~3日漬け込み、同様に焼いて食べることができる。