畜産加工品
本ページでは、日本における畜産加工品について、その歴史と代表的な食品について、大きく肉類(豚、牛、鶏、その他)、卵、乳製品、その他加工品(はちみつなど)に分けて紹介する。
歴史、文化
畜産加工品の種類は多岐にわたる。一般的なものとして、塩漬け、乾燥品、燻煙品、ハム、ソーセージ、缶詰製品などが挙げられる。
原始古代の日本では肉食は自由に行われ、イノシシやシカを中心にさまざまな野生動物が食用対象となっていた。また、豚(家畜化したイノシシ)は古くより飼育され、食用に利用されたとも指摘されている。
6世紀に仏教が伝来すると、動物の食用を禁じる風潮が一層高まりをみせ、天武天皇年間には、牛、馬、猿、鶏、犬などの殺生を禁じる法令が発布された。なお、当法令は、4月朔日から9月30日までの農繁期に限って命じられたことから、仏教的倫理観から発布されたものではなく、米の収穫を安定させるための禁断令ととらえる見方もある。その後も各天皇による殺生を戒める政令は続いたが、実際中世以降も肉食が完全に否定されたわけではなく、庶民の間では継続して行われていたとされる。
近世以降には、南蛮人との交流の中で肉食禁忌のないキリスト教が伝わったことにより、南蛮貿易の拠点となった九州地方では改宗者の増加に伴い、肉食を嗜好(しこう)する動きも見られた。さらに九州各地には、豚肉や鶏肉を用いる異国料理の影響を受けた郷土料理が根付き、今も継承されている。
肉食が本格的に普及するのは、幕末の開国後である。西洋人との交流が深まる中、体格改良につながる肉食が評価され、都市部では牛鍋屋が繁盛した。また、天皇の肉食報道に加え、軍隊でも肉食が採用され、特に牛肉は文明開化の象徴として庶民の間で享受された。さらに明治期以降には、外国人技術者の尽力もあり、ハムやソーセージなど食肉加工品の国内製造も始まった。
<卵>
今日の日本は、一人当たりの消費量がメキシコに次いで世界第2位(2021年度※)の鶏卵大国である。しかし、肉食同様、仏教思想の影響から江戸時代頃までは積極的には食べられてこなかった。平安時代の文献には、鶏卵の食用が災いを呼ぶとする記述すら確認できる。
しかし、安土桃山時代に入ると、てんぷらやカステラなど、卵を使った南蛮料理が伝わり、徐々に滋養品として珍重されるようになった。また、この時代には農家の庭先で採取された卵が集められ、ゆで卵が売られていたという。天明五(1785)年には多彩な卵料理を収録した『万宝料理秘密箱』が出版され、錦糸卵、卵豆腐、卵糝(たまごぞうすい)などのレシピが紹介された。しかし、その頃すでに卵売りの行商もいたが、値段が高く、庶民には依然として貴重品であった。
近代以降は肉食の解禁に伴い、養鶏を推奨する家庭向けの書籍なども出版されたが、第二次世界大戦後も卵は高級な養生品としてのイメージがぬぐえぬままであった。しかし、ブロイラーの導入、そして食生活の欧米化が進んだ昭和30年代頃より、卵の栄養価が再評価されるようになり、家庭の日常品としての定着が見られるようになる。また、1960年代には「巨人・大鵬・玉子焼き」が流行語となり、玉子焼きが家庭で愛される料理としての地位を確立した。
※国際鶏卵委員会(IEC)発表の2021年統計による。
<乳製品>
世界各地には、古くからその土地の環境の中で生まれた発酵食品が根付いている。
日本における乳製品の歴史は、6世紀にさかのぼることができる。百済からの渡来人・智聡がもたらした医薬書の中に牛乳の薬効や乳牛の飼育法が記され、それが記録の嚆矢(こうし)と考えられている。智聡の子孫たちはその後も朝廷への牛乳や乳製品の献納をはじめ、乳牛院や牧場の管理などにまい進し、日本の乳製品加工の基盤構築に尽力した。
また、平安時代の『和名類聚抄』には、「酪、蘇、醍醐、乳餅」といった乳製品が紹介されており、キャラメル状やチーズ状の種々の乳製品がすでにあったことも確認される。しかし、平安貴族の世界では薬用品として珍重された乳製品も、官牧の荘園化や仏教思想による動物性食品を忌避する風潮の高まりから、中世以降の記録からは消え去ってしまう。
乳製品への関心が復活するのは、江戸時代である。記録によると、八代将軍・徳川吉宗が、享保年間(1716~36年)に安房の嶺岡牧(現千葉県鴨川市・南房総市)で牧場を開設し、白牛の飼育を開始。白牛の牛乳を煮詰めて乾燥させた「白牛酪(はくぎゅうらく)」は、滋養品として珍重された。さらに明治時代になると、医学や衛生学の発達もあり、牛乳をはじめとする乳製品の効能が評価されるようになり、徐々に家庭の日常品としてとらえる動きが顕在化していった。特に明治前期には、牛乳を母乳の代用品として利用する声が高まりをみせ、煮沸法や安全な与え方を伝える書籍も出版され、西洋諸国の酪農技術の導入もあり、チーズやバターの製造書も発行されている。
明治後期にはロシアの微生物学者メチニコフの研究の影響を受け、ヨーグルトを評価する主張も確認でき、国内での販売も徐々に始まった。また、昭和5(1930)年には、医学博士・代田実によって乳酸菌シロタ株が発見され、日本独自の乳酸菌飲料の開発も進んだ。
しかし、乳製品の本格的な浸透は戦後を待たねばならない。高度経済成長期における食生活の洋風化に伴い、バター、チーズ、ヨーグルトなどの乳製品は一気に日本人の日常に浸透していくことになるのである。
<その他(はちみつ)>
日本史における「養蜂」に関する記述の嚆矢は、『日本書紀』にさかのぼることができる。それによると、643(皇極2)年のくだりに、「百済から来日した余豊が、奈良の三輪山で養蜂を試みるも失敗した」と記されている。しかし、奈良時代以降も、はちみつは外国からの貢物としての献上品であり、その後も長らく貴重なものとして扱われてきた。
養蜂が本格的に行われるようになったのは江戸時代以降とされ、養蜂技術やはちみつの分類や効能について記した書籍類も出版された。なかでも寛政3(1791)年刊『家畜畜養記』は、ニホンミツバチの生態や飼養技術について詳述した初期の本とされる。さらに明治時代以降になると、海外のミツバチの輸入も始まり、転地養蜂の浸透により養蜂市場は拡大していった。
はちみつは極めて糖度が高く、水分活性値が低い。それに加えて酸性であるため、腐敗菌が増殖しにくい性質を備えている。極めて保存性が高い加工品である。
特徴、種類
<肉類>
今日、滋賀県に伝わる「近江牛の味噌漬」は、牛肉を味噌に漬け込んで熟成させた伝統食で、肉食が禁止されていた江戸時代から今に伝わる。当時の彦根藩(滋賀県)は、幕府に陣太鼓に使う牛皮を献上していたことから、牛の食肉処理が許可された唯一の藩であった。そうした背景の中、滋養強壮を名目に「薬喰い」としての食べ方が考案され、保養薬として将軍家に献上された。
食肉加工技術の進展は、西洋諸国との交流が活発化する明治時代以降である。食肉処理技術の導入のみならず、加工品の製造技術の開発も進み、1872(明治5)年には、長崎の片岡伊右衛門がアメリカ人から製法を教わり、国内初のハム製造に着手。また、同じ頃、横浜ではイギリス人技術者ウィリアム・カーティスによるハム製造も始まった。さらに大正時代に入ると、第一次世界大戦を機に来日したドイツ人技術者の影響で、本格的なドイツ式製法が日本に広がることとなった。
獣肉の缶詰としては、1877(明治10)年の西南戦争で携行された「牛肉の佃煮」の缶詰が最初とされ、それをベースに和風に味付けした「牛肉の大和煮」の缶詰が1888(明治21)年に開発された。「大和煮」の缶詰は軍隊の携行食として重宝され、その後、一般家庭でも保存用食品として定着していった。
<卵>
長らく卵を食べる習慣がなかった日本で、卵料理が登場するのは江戸時代である。南蛮貿易の影響で鶏卵の食用が普及した。しかし、当時の鶏卵はまだ貴重なごちそうであった。しかし、江戸時代にはすでに日本独自の鶏卵料理が生まれている。例えば袋井宿で提供されていたとされる「たまごふわふわ」は、江戸時代の文献『仙台下向日記』によると、大田脇本陣で宿泊客の朝食メニューであったという。だしを沸騰させた中に溶き卵を流し入れた後、蒸らして完成させる。これが発展して、だしと砂糖で厚く焼き上げた「卵焼き」に発展したという考え方もある。
長崎には海外の食文化の影響により、多くの卵料理が伝わった。例えば「アルマド」は食紅で鮮やかな色を付けた卵を入れた練り物である。一風変わった名前は、オランダ語の「アルマトーレ(包む)」、あるいはポルトガル語の「アルマード(武装する)」に由来すると言われている。
卵黄と植物油、酢を使った半固体状のドレッシングであるマヨネーズは、18世紀半ば、スペインのメノルカ島にフランス軍が攻め込んだ際、港町マオンの料理屋で肉に添えられたソースを、後にパリで「マオンのソース」として紹介したことが発祥とされる。日本では、1925(大正14)年に中島商店により商品化された。一方、マヨネーズと原料が共通する「黄身酢」は、卵黄と酢を原材料にした江戸時代から伝わる日本独自の調味料である。
<乳製品>
飛鳥時代に唐から奈良に伝わった牛乳・乳製品は、主に貴族の間で飲食されていたが、密かに僧侶たちの間にも広まった。彼らは牛乳を飲むだけでなく、やがて飼っていた鶏の肉を牛乳で煮て、食すようになった。これが現代に伝わる「飛鳥鍋」(鶏肉と野菜を牛乳とだし汁で煮た料理)の起源とされる。
「蘇(そ)」は、牛乳を長時間煮詰めたものを乾燥させた加工品である。平安時代に編さんされた『延喜式』に登場するほど歴史が古い。しかし当時は貴族の貴重品として珍重され、庶民が口にできるものではなかった。昭和62(1987)年には、西井牧場(奈良県)により、商品化された。蘇は古代のチーズとも呼ばれている。
日本の酪農の始まりの地とも言われる千葉県鴨川市・南房総市に伝わる「チッコ豆腐/牛乳豆腐」は、産後の牛の初乳を火にかけて固めたもので、傷みが早いため流通せず、酪農家の間で親しまれてきた。現在は牛乳を加熱してさまざまに加工され、広く一般的に食べられている。
<はちみつ>
はちみつは、約8割の糖分と約2割の水分によって構成され、ビタミン、ミネラルなど微量の有効成分を含み、風味や色は蜜源となる植物によってさまざまである。砂糖に代わる甘味として、菓子類の製造や調味料として使われる。食材の臭いを抑えたり、口当たりをやわらかくし、うま味を閉じ込めるなど、さまざまな効果が期待できる。また、腐敗しない性質を利用して、梅干しや各種フルーツ、ナッツ類を漬け込んだ加工品がつくられている。